◆別名:
◆所在:
武豊町中根
◆交通:
◆歴史:
長尾城の出城の一つである。
長尾地区には長尾七宮と呼ばれる社が存在し、それぞれが長尾城の出城としての役割を持っていたと言われている。
天文12年(1543年)緒川城の水野信元は、織田信秀と盟約を結び後顧の憂いをなくすと、知多半島制圧を目指し、坂部城主の久松俊勝に於大の方(徳川家康の生母で、松平広忠から離縁されていた)を嫁がせて婚姻関係を結び、宮津城、成岩城などを攻略し、長尾城へと軍を進めた。
長尾城主岩田安広は今川義元へ援軍を求めるが、水野勢の勢いに抵抗できず、開城降伏をしている。白陵山砦もこの時に攻め落とされたと思われる。
◆現在:
当時は、武豊中学校一帯が小高い丘になっており、丘の中腹に砦が築かれていたと言われているが、現在、遺構などは存在しない。