岩滑城跡に建つ常福院
2015年11月30日撮影
◆別名:
◆所在:
半田市岩滑中町2
◆交通:
◆歴史:
宮津城主の新海淳尚の配下である榊原主殿が半田街道と矢勝川の交わる小高い地に築いた城砦。
緒川城の水野信元が知多半島制圧を目指し、坂部城の久松俊勝に於大の方を娶せ、婚姻関係を結んだ後、宮津城の新海氏に攻めかかった。宮津城は落城、支城であった岩滑城も攻め落とされる事になった。
信元はそれまで知多半島北部に領地を構えていた妹婿(於大の方の妹になる)の中山勝時を岩滑城に入れて、この地を支配させた。
勝時の子孫は岩滑に住んでおり、同地出身の新美南吉とも親交があり、名著『ごんぎつね』に出てくる『中山さま』は中山勝時の事だとも言われている。
勝時の子孫は徳川家康の生母、於大の方の妹婿一族になるため、大名にこそなれなかったが、旗本として大阪町奉行などの役職に就いた他、野間大坊の住職になった人物も存在する。
◆現在:
岩滑城を落とした中山勝時は1,5キロ程西に中山城を築き支配拠点としたため、岩滑城を廃城とし、城跡に常福院を建立した。
常福院の裏手は矢勝川が流れている。
道路正面に墓地があるが、その近辺が本郭だったと伝わる。
墓地の周囲は当時の土塁の跡とも言われているが確証はない。