2015年9月7日撮影
◆別名:
◆所在:
知多郡東浦町緒川笠松
◆交通:
◆歴史:
清和源氏の末である源重遠の子である重房が知多郡英比郷小川村に住み、小川重房を名乗って、高藪城を築いてこの地を支配した。承久の乱を経て地頭に収まっていた小川氏だが、1360年土岐氏が来襲し、本拠の高藪城は落城。墳墓の地である濁池に砦を築き抵抗したが、当主である小川正房は4人の息子と共に討ち死にを遂げた。
末子の信安は信濃国に逃れ潜伏していたが、4代後の忠義の代に緒川の地に戻り土岐氏に対抗。忠義の息子である貞守が土岐氏の代官である竹内八郎を駆逐して、緒川の地を取り戻す事に成功した。
貞守は水野氏を名乗り、高藪城の南に緒川城を築き知多半島を制圧していく事になる。
◆現在:
宅地化が進み、遺構などは残っていない。
城があったとされる近辺から東側を撮影。
現在は埋め立ても進み宅地化されているが、当時は川幅も広く、目前まで海岸線が来ていたと言われている。