城跡の北側を流れる川の対岸から城跡を撮影
2016年4月18日撮影
◆別名:
◆所在:
知多郡東浦町緒川屋敷参区
◆交通:
◆歴史:
清和源氏の末である源重遠の子である重房が知多郡英比郷小川村に住み、小川(緒川)重房を名乗って、高藪城を築いてこの地を支配した。承久の乱を経て地頭に収まっていた小川氏だが、1360年土岐氏が来襲し、本拠の高藪城は落城。墳墓の地に濁池砦を築き抵抗したが、当主である小川正房は4人の息子と共に討ち死にを遂げた。
末子の信安は信濃国に逃れ潜伏していたが、4代後の忠義の代に小川の地に戻り土岐氏に対抗。忠義の息子である貞守が土岐氏の代官である竹内八郎を駆逐して、小川の地を取り戻す事に成功した。
貞守は水野氏を名乗り、高藪城の南に緒川城を築き知多半島を制圧していく事になる。
◆現在:
宅地化され、遺構などは残されていない。
城跡とされる地区の北側を流れる川を挟んで、かなりの高低差が有る事が城跡だったと思わせる唯一の名残である。
城跡の北側にある井天ふれあい広場。
この広場の南側に川が流れ、川の対岸は小高い地になっている。