城跡の東にある山の中腹に建つ天尾神社
2015年2月16日撮影
◆別名:
荒尾古城
◆所在:
東海市大田町城山
◆交通:
知多半島道路の大府東浦ICを降り、国道155号線を西へ約1.5キロ走ると、県道55号線(半田街道)と交わる『内堀南』の交差点がある。交差点を西に行くと登り坂になり、坂を登る途中で右折レーンが出てくるので、それに従い右折し、最初の角をまた右折して登って行くと、上の道と合流する。
そのまま道なりに進むと木田集会所と天尾神社があり、道沿いに駐車スペースがある。
◆歴史:
鎌倉時代末期に一色左馬之助が築いたとされ、その後、吉川城主である花井氏が移り住んできた。
戦国時代に入ると織田氏に属し、大野城を中心に知多を治める佐治氏の一族である荒尾善次が城主となった。織田信長の村木砦攻略戦の際は、一旦木田城に軍勢を集めた後、知多半島を南下。佐布里城の近辺から一気に東に向けて進軍し、村木砦を攻略する事に成功したとされている。
信長が木田城に到着した時、荒尾善次の娘を見つけ弟の信時との婚姻を決めるが、後に信時が死去すると、平島城を居城とする池田恒興に再嫁する事になる。池田恒興と荒尾善次の娘の間に生まれた子が後の池田輝政であり、木田城主にもなっている。
◆現在:
天尾神社の西側の崖下が城跡とされるが、個人宅のため立ち入りができないようになっている。
実際に現地に行ってみると、城跡とされる土地よりも、天尾神社と木田公民館一帯を城の中心とし、東の尾根あたりまでを城郭と言ってもおかしくない地形である。
上記が正しければ、南西にある『内堀南』と言う交差点名も納得がいくのだが…