2016年10月13日撮影
◆別名:
◆所在:
美浜町野間
◆交通:
◆歴史:
下高田遺跡のあった微高地に平安中期以降、長田氏によって築かれた城館と言われている。
平良兼の孫で平致頼は尾張国に勢力を持ち長田姓を称した事が始まりとされ、平安時代末期には野間大坊を中心として勢力を築いた。
平治の乱で平清盛と戦った源義朝は敗戦。関東に落ち延びる際に、乳兄弟の鎌田政清の舅にあたる長田忠致を頼って野間の地まで来たが、忠致は平家からの恩賞を目当てに義朝を殺害し、その首を六波羅に届け出た。
その後、義朝の遺児である頼朝が兵を挙げると『功績を立てたら美濃と尾張を与える』という約束を信じて、平家討伐に 加わり功績を立てるが、最後は父である義朝を殺した罪により、息子の景致と共に屋敷の正面に生える松の木に磔にされて、その一生を終えた。
忠致・景致父子が磔にされた松は『はりつけの松』として現在でも同地に残されており、その看板によると、磔にする際に頼朝は『父を殺した忠致・景致父子には約束通り、身の終わり(美濃尾張)を与える』と言い放ったと記載されている。
◆現在:
はりつけの松の正面に長田屋敷の看板が残るが、遺構は存在しない。
屋敷跡から西に150m程に野間大坊が有り、境内には義朝の墓も存在し、墓からは『はりつけの松』を見る事ができる。