吉祥寺の沿革には細目城の記載はなく、源平合戦の落人が隠れ住んだ逸話を紹介している。
2016年10月31日撮影
◆別名:
◆所在:
知多郡美浜町野間桑名前
◆交通:
◆歴史:
細目城Bと共に、城があったとされる候補地。
細目河内守の居城とされているが、冨具神社に『永正6年(1508年)銘の当村城主緒川氏』と書かれた棟札が存在するため、その頃には水野清忠(緒川城主水野信元の祖父にあたり、徳川家康の母方の曽祖父)がこの地を支配していたと思われる。
水野氏は清忠の父の代に勢力を拡大し、弟である政祖は常滑城主である事からも、知多半島西岸は水野氏の勢力下にあった事が判る。
こちらには、かつて吉祥寺があったが、寺は寛永年間に現在の場所に移築されたと伝わる。
また、城があった山にはいにしえより埋蔵金伝説があり
「朝日さす夕日輝く木のもとに、金の鶏埋めけられており」と言う歌が詠まれているが、どちらの山を差すかは不明である。
◆現在:
吉祥寺の裏山が城跡と言われている。
立ち入りは難しく、遺構などが残されているかは不明。